さよなら絶望先生

ふと『さよなら絶望先生』が読みたくなって、最初ブックオフで第三集まで買ったんだけど値段は250円と、半額よりちょっと高いくらい。後から(作者がかわいそうになって)お金のある人は新品を買うべきだなと思いなおして、昨日続きを新品で買った。棚には第十六集まであったのでこの日は半分の第八集まで。

で、第八集を読んでいて、なぜ今これを読みたくなったのか分かった。今日から渋谷でだまし絵展があるんだけど、第八集にだまし絵展がでてきてた。内容はちょっと違うけど。この偶然を作るために私はこれを急に読みたくなり一昨日昨日と購入して、あの本屋は棚に第十六集まで並べてたんだな、第十七集もでてるのに(たぶん平積みしてたので気付かなかったのだ)。

で、今日第十七集まで買い揃えた。本屋では中高生にお薦めしてたのでちょっと買うのが恥ずかしい気もしたけどそれよりこの店カードが使えるのかどうかということの方が気になってたので忘れてた。カード使えた。政治がらみのネタは中高生の社会勉強には良さそうだな。まだ第十集までしか読んでないけど。これ読むのに時間かかるんだよな。後ろの文字も全部読まなきゃいけないし。これはそれがメインの漫画だから。と思ってたけど絵も良く考えるとキャラクターが高度に記号化されてるよな。キャラの描き分けができてないんじゃなくて、これはむしろ描き分けできない人の手法から記号(髪形とか)を抽出して再配置したような感じだ。切り絵みたい。大正時代的だからよけいに。あと普段着以外の服の模様とか背景とかも(毎話最初の2〜3ページ辺りは特に)少ない線なのに細かい。
そういうことも考慮するとこれはジャンプでいうこち亀みたいな位置づけなのかもしれない。どちらも時事ネタを分かりやすい個性のキャラクターが扱うし。でもネタはもっと風刺が効いてて長く続けるのは大変そう。絵柄や時代は違うけど背景の書き方はある意味似てるかも。書いてるのが本人であろうとなかろうと。
アニメのほうもBSイレブンで2期の途中から見てたんだけど、見るときは2回目は一時停止してた。あの後ろの文を読むために。まぁ原作あればもうその必要は無さそうだけど。

絶望先生のいいところはいつ買うのを止めてもいいことだよな。1話完結だから。ストーリーものは終わってからじゃないと安心して買えないし、終わってても30巻超えたら手が出ないし、途中まで立ち読みしてたらよほど面白くない限り最後まで立ち読みで済ませたいし。と昨日思ってたはずなんだけど、そういえば第八集までしか読んでないのに気がつくと残り全部買ってしまってた。薄いから持って帰りやすかったんだ。途中からつまらなくなったりしてないよな? ちょっと心配だ。今のところ大丈夫だったけど。

2004年の時事ネタも結構覚えてるもんだな。所々まだそんなに昔な気がしないネタもある。まぁ芸能ネタは古く感じるけど。とくに芸人は毎年入れ代わるしな。
地デジのCMはそんなに昔からやってたか。あの人が使われてから服を脱ぐまでも結構時間が経ってるんだ。この費用でチューナー配っとけば良かったんじゃないかって気もしなくもない。

思い返してみると、前世紀の終わりごろから2003年辺りまでは世の中結構変わってた。911とかあったし。ネットが一般人でも当たり前になった。ISDNからADSL、そして光に変わった。Javaも使われるようになった。
でもその後全然変わらないな。Windowsは2000から基本的に変わってないし、iPodmacもそのぐらいから一般人に当たり前になってきてたし、Firefoxをまだ使ってるし、携帯はとっくにみんな持ってたし、DoCoMoauSoftbankがメインのままだし、ネットの速さも変わらないし、ブログももう認知されてたし。検索はずっとGoogleだし、プログラミング言語C/C++/Java/Ruby/PHP/VB/C#のまま、後からObjective CがiPhone関係で使わなきゃいけなくなった人たちがいるくらいで、関数型言語が流行ってるって言っても仕事で使ってる人はほとんどいないし。PHPなんてバージョン5になってからバージョンアップがかなり遅くなってるし、Javaも5.0から後は地味な進歩だし、RubyVMになったと言っても構文とかは大差ないし。Pythonは変わったと言われても前は使ってなかったからどうでもいいし。2chもずっとあった。人当たりは良くなったけど。

なんかいろいろ停滞してるな。

絶望でもしようかな。